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株式会社 がまかつ 故 藤井繁克 代表取締役会長 社葬・お別れの会に参列して

お別れの会

GFG会長  生木 栄


 株式会社 がまかつ 創業者である、藤井繁克 代表取締役会長がお亡くなりになられ、7月20日に「社葬・お別れの会」が大阪で執り行われました。藤井会長は、有名釣り具メーカーを築き上げた経済人であると共に、釣り人としても偉大な存在でありました。

  藤井会長との出会いは昭和40年代後半「竿の話が聞きたい」という話がきっかけでした。当時渓流やアユ竿は竹やグラスロッド全盛の時代で長さは5~6mでした。会長は新しい時代の竿の開発に取り組まれ、翌年カーボン素材で出来た7.2mのアユ竿が出来ました。腕力少ない私でも長時間持っていられる程軽量で驚いていると、次の年には「黒地に赤帯」がまかつカラーで軽量長尺の竿が出現し、釣果が大きく伸びた事を覚えています。現在の鮎竿の原型ともいえる「がま鮎シルバー」が昭和53年に発売され、9~10mの長さで終日使える様になりました。

 昭和52年に藤井会長は、全国腕自慢のアユ釣り師を集め「G杯争奪全日本アユ釣り選手権」を和歌山県の日置川でスタートさせました。G杯は回を重ねる度に選手間の交流が進み、アユの友釣りが全国に急速に広がりました。2年後には「へら鮒」、その翌年に「キス」、続いて「磯グレ」、「磯チヌ」と、毎年G杯に新しい魚種が加わり、予選会・全国大会を通じて釣技の進展と、釣り人の交流が深まる様になりました。

 昭和57年には、がまかつファングループ(GFG)が結成されました。発足から29年、釣り人の友好の輪は広がり、東北・北海道から沖縄まで11地区、5千人を超える会員が釣場で活発な活動を行っています。藤井会長が私たちに教えてくれた「釣りを愛し釣りを楽しむ者が、格式と品位のある集いを行い、友好と友情を深める。釣り人として模範的人物であれ」そのお言葉を胸に私達はこれからも頑張る所存です。会長が遺されました志は、永遠に私たちの中に生き、さらに精華を加えて行くにちがいありません。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 社葬・お別れ会に際しましては、会長が全国を釣り歩き友好を広めた河川の鮎を一堂に集めようという話となりました。全国のGFGの方にお願いし、各河川30匹ずつの鮎を寄贈して頂きました。その踊り串を打った全国の鮎は壮大なスケールで感動を覚えると共に、参列者を驚かせていました。GFGの友情と団結力を改めて認識いたしました。会長も喜んでいただけたものと確信しております。ご協力くださった皆さまに御礼申し上げます、どうもありがとうございました。